Origami の「コンピューティング」

d:id:n_shuyo:20060608 にて Origami(UMPC)への期待表明をしたわけだが、具体的には何を期待しているか。


まず、タブレットPCが感じさせてくれた「コンピューティングの変化」は、Origamiにも期待してもバチは当たらないだろう。
いや、むしろ Origami の方こそが本命により近い。


タブレットPCはキーボード付きもあるが、基本の入力は手書きであり、Windows Journal(標準付属) や OneNote は「カット&ペーストができるノート」の感覚で使うことができる。
また写真やwebページの一部をペンでぐるっと指定して、貼り込むこともできる。
そうやって作成した「データ」は、デジタルでありながら、とてもアナログ風味の強いデータになる。


データがデジタルかアナログか、の一番の違いは「再利用性」だ。
PCは言うまでもなく「デジタルの申し子」であり、宿命的に再利用性を義務付けられてきた*1
PC で再利用性の低いデータを作ろうものなら、「もったいないなあ〜」「なんか無駄っぽい……」と有言無言の圧迫が他人からだけでなく、本人の身の中からも発生してきたものだ(と断言してみる)。


しかし、PC がいつまでもそういった「デジタルな呪縛」にとらわれていていいのだろうか。


PCはそろそろ本当の「コモディティ」になる頃合いだと思う*2
そのためには再利用性などという足かせは捨てた方がいい。カッコつけて言うと、「再利用を目的化せず、できる範囲で行うべきだ」と言い換えてもいいかもしれない。
でないと、「頭のイイ人だけが使う奴」「うちはメールとインターネットだけしかしないから……」「いやいや、うちなんて埃かぶった置物状態……」とかいつまでも言われ続ける。
いくら価格が下がってエントリーレベルでは差異がなくなりつつあっても、そんなこと言われている内は「コモディティ」とは呼べないだろう。


タブレットPCは手書きゆえに再利用性を強要されない。
そこで作成された「アナログなデジタルデータ」は、コピー&ペーストやネットワークに流せるなどのデジタルの良さを保っている。
そういった「コモディティな使用感」を実現しておきながら、ハードウェアがコモディティとほど遠かったのがタブレットPCだったのだ。


これで、タブレットPCが「高い、重い、熱い、電池持たん」ことにどうしてあれほど強い不満を持っていたのか、つながっただろう。
タブレットPCの機能は、安くて持ち運ぶのが苦にならないデバイスで実現してこそエポックメイクになるのだ。


またタブレットPC登場の頃と今とでは、コンテキストも色々と変わっている。
今の環境だからこそ、Origami に対して新たに期待していることもあるのだが、それはまた稿を改めて。

*1:PCを「清書マシン」として使う『文化』もあるが、それはさすがに傍流だろうから、除外。

*2:昔からの「マイコン少年」にとっては、さみしい限りだが。